「先」のことって、考える人がほとんどだと思う。
私も考える。
「今」を大事にしているのは変わらないけれど、「先」のことはやっぱり考えてしまう。
大事にしているのは間違いなく「今」ではあるけれど。
いつまで生きるかわからないのに、なんの保証もないのに、それでも「先」のことは考える。
「先」はどうなるかわからない。
自分の行動のみじゃなくて、ご縁や周りの人間の行動や環境によって、「先」はいくらでも変わる。
つまりどうなるかわからない。
極端だろうがなんだろうが、誰も1分後何が起こるかわからない。
1分後、生きていない可能性は誰にでも十分ある。
それでも「自動モード」の生活の中では確率論になる。
もちろん、そうでなければ生きていけないということもわかる。
いちいち、多くのリスクや不安を考えていたら生きていけない…
でも、たくさんの細やかな様々なモノやコトやヒトに、「感じ」たり「気付い」たりすることが出来たらきっと景色は変わる。
そして、いくらでも自分の「先」は変わる。
「気付く」ことって、脳と身体にとってものすごく大事なこと。
もちろん脳と身体だけじゃなくて、心にとってもすごくすごく大事なこと。
どうしても考えてしまう「先」のためには、「今」を大事にして、大事なことに気付いて生きていきたいなぁなんて思う。
もちろん、「自動モード」が必要な時もあるのでそこはバランスよく…
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