「みんなちがって、みんないい」を人のために考えられてる?




よく聞くようになった「みんなちがって、みんないい」



それはそうなんだけど、、、
「みんなちがって、みんないい」って、それを自分のために当てはめてるだけに留まってる気がする



「ちがっていい」けど、自分と人が違うことに対して理解はあるのかな?



「ちがっていい」と言いながら、違うことで生きにくい世の中に感じるのはナンセンスじゃない?



「当たり前のことが出来ない」人間は、「みんなとちがう」わけなんだけど、「ちがっていい」って言うだけじゃダメじゃない?



「自分はみんなとちがうけど、それでいいんだ」じゃなくて、



「人の違い」に対する理解や思いやりのある社会、「ちがい」を受け入れられる世の中にならなきゃ、本当の「ちがっていい」にはならない



現時点でマイノリティが生きにくい社会であることは間違いないんだから



「人の違い」を認める社会、助け合える社会には程遠い事が残念でならない



そういう社会作りのために奮起できる人たちが集まって大きな力になれたらいいなと心から思う



ひとりでは何も出来ないから



大きな力が必要だもの



そのためにずっとずっとずっと探してるものがある








女30歳、脳梗塞、左半身不自由になりまして

30歳のときに左小脳梗塞で倒れて 左半身が不自由になりました。 リハビリ、トレーニング、 いろいろやってきてます。 同じような状況の方々や リハビリに携わる方々のために、 情報発信をしていきたいと思っております。

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