今の私

今の私を見て、「最初から今の私」の状態と人は見るらしいということに気付くことがあって少しびっくりした。
(私の身体の事情を知っている人だったからびっくりしたのだ。)

当たり前のことなのだけど、私だけではなくて、誰もかれも「最初から今の自分」なんかではない。

私の左半身のことだけについて言えば、

5年前に突然倒れてベッドから起き上がれない状態で、

最初のリハビリで平行棒に捕まって車椅子から立ち上がることがとても難しかった。

このことは自分にとって衝撃的だったのでよく覚えている。

ブルーのストライプの病衣を着て、

当然お化粧なんかしないで、

悲壮感漂わせた顔で、

時々裸足になって、

平行棒に捕まって歩くリハビリをあのときしていた。

私の左半身はとても重く、

思うように動かすことはもちろんできず、

まるで重い石を両手でどっこらしょと持ち上げるような感覚で動かしていた。

手に関しては、動かそうとすると肩甲骨あたりから、大きくしかも勝手に揺れていた。

ミオクローヌスと言われ、

そんな左手はまるで使い物にならず、

朝ごはんは左手を使えないのでパン食にしてもらっていた。

それでもマーガリンやジャムの小さな袋を開けることに手こずり難儀した。

それが倒れて「最初の頃の私」だ。
「今の私」は、一見身体が不自由な人間には見えない。

色んな要素のおかげでここまでなったとは思っているが、その要素のひとつに私の努力があることは、はっきり言える。

だから、今の私を見て「症状が軽い方」だと言われたとき、
「え。」
って、一瞬固まってしまった。

今の私の状態は、つくりあげてきた結果であって、最初からこの状態だったわけではないからだ。


昔、似たようなことがあった。

努力の末に勝ち取ったものがあったのだが、それは私にとっては「ただの努力」ではなく、「そこそこ大変な思いをした努力」だった。

でも、周りの人間は、私がまるで簡単に勝ち取ったかのように言うのでびっくりしたのを覚えている。

その後はほとんどの人が私のことを「◯◯だから」と言うようになり、それに関してはもう私は受け流している。

友人たちのほとんどがあることにエネルギーを注いでいたその期間、私はそのあることを犠牲にし、自分の注いだ全てが報われるかの保証なんて全くない状況で、ひたすら努め、賭けた。

あれは博打としか言いようがない。

やれることはやった。

そうやって勝ち取ったものだった。


そのことと、今回のことは似ているように感じた。

こういうこと(目の前にある結果の背景)を理解も想像もできない人はおそらくそこそこいるのだろう。

第三者のひとつの見方を改めて認識した。

そういう風に人は見る。

逆の立場なら私もそうなり得るのだろうか。

なんてことを思った。




「今の私」がどうやって今に至っているかというと以下のような感じだ。

目標や目的を定めて、その実現のために何をするか考えそしてただひたすら実行する。

言葉で言うと簡単に聞こえるかもしれないけれど、実際に行動するとなるとなかなか難しいものだ。

何がいちばん難しいかというと、継続することが難しいのだ。

継続するには精神力が必要になる。

心はいくらでも追い詰められる。

目標を達成するため、目的を果たすため、結果を得るために、必要なことや可能性をできる限り考え、行動し、精神を保ちながら継続する。

必死にくらいついて、

それで、

なんともないように振舞って、

心配をかけないようにしようとしたり、

笑顔でいようとしたり、

大丈夫だと言わんばかりに、

自分を保つ。




天晴れ。

よくぞここまでやってきた。

と、私は言いたい。




限られたなかでいかにして良い結果に繋げるか。

与えられた身体や能力で、与えられた時間で、良い時間をつくる。

「こうしたい。」だとか「こうなりたい。」だとかいうことのために努力を惜しまず実行する。

これらは本当に大事なことなのだ。

そういうことを大事にしてきて「今の私」があるのだ。



今回のことで第三者のひとつの見方を改めて知ると共に、

これまでの自分を振り返って、自分を抱きしめてあげたくなった。




私、よくやってんな。

本当に辛かったし、今も辛いけど。

よくここまでやってきたな。

そう言って抱きしめてあげたいよ。
(自分のことだけど)

抱きしめたら多分泣いちゃう。
(自分で自分を、だけど)


そして、時々ヘタってる自分に喝を入れたい。

ここまでこれだけの思いでやってきたのに、何やってんだ!

頑張ってきた自分を救い上げることができるのは自分しかいないんだぞ?!

大事なことはわかってるはずだ!

進むべき方へ、進みたい方へ、

ひたすら邁進せよ!


自分の尻を自ら叩く。




時間は限られている。



生き急いでるわけではないけれど、
ダラダラ生きている場合ではない。

女30歳、脳梗塞、左半身不自由になりまして

30歳のときに左小脳梗塞で倒れて 左半身が不自由になりました。 リハビリ、トレーニング、 いろいろやってきてます。 同じような状況の方々や リハビリに携わる方々のために、 情報発信をしていきたいと思っております。

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