ある日突然不自由な身体になったら、それはなった人間にしか理解できないしんどさを日々抱えることになる。
そんなしんどい日々のなかで、メンタルコントロールは大きなテーマだった。
ネガティブな自分に対してどうするか、は重要なことだった。
辛いのだ。しんどいのだ。ストレスなのだ。それは日常的に、だ。
でも、せっかく生かされてるのだから、いい時間をつくりたい。
そうは言っても、ネガティブな発想は嫌でも出てくる。
だから、私がいちばん意識していたのは、
いかにしてポジティブでいるか、
いかにして楽しい時間をつくるか、
そして、とにかく希望を持つということ。
これがなかなか大変なのだ。
「自分の身体は良くなる!」と信じているのは自分だけだった。
頼れるはずの療法士は立場上なのかなんなのかはわからないけれど「良くなる」とは言ってはくれない。
とにかく良くなるのかどうかがわからなかった。
このことは、けっこう辛いものであった。
そんななかで「自分は良くなる」ことを信じるのは大変だった。
自分を信じて希望を持つということは簡単ではなかった。
根拠もなく、情報もなく、専門家からのポジティブな言葉もない、そんななかで、自分を前向きに保つことは、なかなか大変だった。
そしてそのために、自分にとって何が大切なことなのか、何がしたいのか、どうありたいのか、そういうことを考えさせられた。
考えさせられたことは、結果的に良かった。
今、私にとって、何が大事なのか。
もし5秒後死んだとしても、できる限り悔いなくいるようにするためには何を優先しようか。
この考え方で、いろんなものが私のなかで捨てられた。
大事なものだけが残った。
それだけで十分だと思えた。
他は取るに足らないことに思えた。
きっと、何を言ってるんだと言う人もいるだろう、諭してくる人もいるだろう、私の出したこたえを聞いて私のことを「まるでわかっていない」と言う人は勿論いるだろう。
まぁ、それは、それぞれの価値観だ。
とにかく、前向きに自分を保つために私が考えさせられた結果得たものは、私をネガティブから突き放してくれた。
ネガティブとの戦いはまだまだ続いているのだけれど、私は「希望」を持てるし、「自分を信じること」ができる。
兎にも角にも、希望を持って自分を信じることが最重要事項だったことは間違いない。
希望を持って、自分を信じることは、涙を流してでも突き進む価値のあることだと私は思っている。
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