与えられた時間(いのち)は限られていて、
できることや出会う人も限られていて、
だから、そんな限られたものは大事にしたいと心から思うし、
そんな限られたなかでどれだけ楽しもうかと考えるし、
できないことだらけの自分のことは抱きしめようと思う。
超未熟でもたくさんの人たちのおかげでなんとか生かされている。
倒れた後、私はたくさん後悔した。
自由な身体ならできたのに、と思うことがたくさんあった。
もし目が見えなくなったら、見れるものはたくさんあったのに、と思うのだろうか。
もし耳が聞こえなくなったら、聞きたい音や声や言葉はたくさんあったのに、と思うのだろうか。
もし口が聞けなくなったら、自分の声で伝えたいことがたくさんあったのに、と思うのだろうか。
自分の大事な人がそうだったら、
もっと見せたい世界がこれからあったのに、一緒に見たいものがあったのに、
もっと聞かせたい音や聞いて欲しい声や言葉があったのに、
もっとお喋りしたかったのに、
と思うのだろうか。
その人がいなくなってしまったら、もう何もできない。。。
想像しても、現実はそんな想像を絶するだろうと思うから私は想像できない。
でも、「想像を絶するだろう」とは思っているので、できるだけできるうちにできることをしようといつも思っている。
それは例えば小さなことだ。
例えば、母に「ありがとう」を伝えたり、喧嘩したときはもちろん「ごめんなさい」を言う。
直近でふと伝えたのは、「勉強させてくれてありがとう。」だ。
少し前はちょっと喧嘩をしたので「ごめんなさい。」だった。
そんなことの積み重ねのおかげかはわからないが、母とは仲が良いと思う。
一緒にいられる時間は2人にとって心地良い時間にしたいと思う。
人間なので完璧にとまではいかないけれど、意識は常にしている。
だっていつまで自分の命があるかわからない。
だから、「あのとき言っておけばよかった」と思う小さなことはできるだけ摘んでいる。
大小関わらずできるだけすべてに向き合う。
大事なことだ。
心地良い時間をもつための必要なこと。
どんな些細なことでも向き合う。
そうしたらだいたいのことが笑顔の時間に繋がる。
あたたかい気持ちで過ごしたい。
写真↓は、家で母とお茶してる時に撮ったもの。
左奥は母手作りの漬物。
右奥のお櫃みたいものの中身は私手作りのくるみもち。(きなこで中身が見えない…)
中央手前のお皿の上に載ってるものがそのくるみもち。
2コメント
2020.02.13 23:00
2020.02.13 22:51