「普通に見える」ということは私にとってこういうこと

私は一見「普通」に見える(と、よく言われる)



普通に見える、って「いいことじゃん!」「普通に見えないよりいいじゃん!」と自分に言い聞かせてきた。



でも本音はそうじゃない。



「普通に見える」ということがどういうことか。



「普通に見える」から、「できて当たり前に見える」ということなのだ。



「できないことは言えばいい」のかもしれないし、「言ってね」と言っていただける。



もちろん、絶対的に無理なことは言うけれど、「できない」と言えない時もそれなりにあるし、「なんとか頑張ろう」と思ってしまう。



多分、「人に迷惑をかけるな」という教育下の日本で育ってきた人間なら私に限らず「迷惑はかけたくない」と思う人は少なくないと思う。



「普通に見える」というのは、いいことのように見えて残酷だったりもするのだ。



ネガティブな話なのであまり書かないようにしてきたことなのだけど、残しておいた方がいいかもしれないと思ったのでここに書き残しておくことにした。




「普通に見える」状態じゃない時も苦しいけれど、「普通に見える」状態でも苦しい。



周りの人たちが温かいのでそこまで苦しい思いの沼にハマらずいられることには感謝しかないし、私自身が明るくいられていることもありがたいなと思っている。


ご先祖さまありがとう。


温かい人たちとのご縁をありがとうございます。


私は明るくいさせていただいております。







関係ないけど、山法師↓
撮影スキルが低いので写真ではお伝えできないけれど、美しかった。


女30歳、脳梗塞、左半身不自由になりまして

30歳のときに左小脳梗塞で倒れて 左半身が不自由になりました。 リハビリ、トレーニング、 いろいろやってきてます。 同じような状況の方々や リハビリに携わる方々のために、 情報発信をしていきたいと思っております。

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